◆世界観: パラドックスを体現する主要な登場人物

①鳴瓢秋人 / 酒井戸

 a. 名探偵なのに、連続殺人犯

 b. カエルちゃんを助けたいのに、カエルちゃんは常に死んでいる

②数田遥・井波七星 / 墓掘り

 a. 数田遥: 愛情表現と殺意がすり替わっている

 b. 井波七星: 穴があるから通じ合えず、穴のおかげで通じ合えた

③早瀬浦宅彦 / ジョン・ウォーカー / 裏井戸

 a. 連続殺人犯をとらえるために、連続殺人犯を生み出す

 b. 現実を捨てようとして、現実で死ぬ

◆世界観を理解するための副次要素

①原作者舞城王太郎の作風

②心理学・哲学

 a. イド

 b. 登場人物の名前

  b-1. 鳴瓢秋人 / 酒井戸

  b-2. 富久田保津 / 穴井戸

  b-3. 本堂町小春 / 聖井戸御代

  b-4. 早瀬浦宅彦 / 裏井戸

  b-5. 飛鳥井木記 / カエルちゃん

③神話

 a. 日本神話

  a-1. ミヅハノメ

  a-2. ワクムスビ

 b. キリスト教神話

  b-1. カエル: 飛鳥井木記

  b-2. 数字: 早瀬浦宅彦・富久田保津

  b-3. 三位一体: 鳴瓢秋人・富久田保津・本堂町小春
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----------ココカラ--------------------

◆本編での未解決ポイントに関する想像

①犯罪者の名前に意味はあるのか

②本堂町小春 / 聖井戸御代は、なぜフルネームなのか

③白駒二四男の死は、なぜ謎のままなのか

◆おわりに: この世界のすべてに意味がある




◆本編での未解決ポイントに関する想像


最後に、作中で謎のままとなったポイントについて考えてみたい。


①犯罪者の名前に意味はあるのか


犯罪者には呼称がついているが、作者の嗜好も考慮すると、どこまで名前に意味を見いだすのかは難しい。字面に見覚えがあるので気にはなる。ミスリードでは、という思いもある。


曜日、犯罪者名、モチーフ、時系列で整理すると下記のようになる。



3年前にはまだミヅハノメがなく、事件の発端は早瀬浦単独であることを考えると、捜査自体にも早瀬浦の思想が強く反映された可能性が高い。不完全恐怖症と思われる彼が、命名規則にこだわらないはずもない。


股裂き、顔削ぎ、舌抜き、腕捥ぎは、異端審問でよく行われた拷問手法だ(皮剥ぎ、八つ裂きなどであったりもする)。早瀬浦の犯罪者の選定基準は、被害者がすぐに死なない手口を好む者であること。単純にそれに該当する者ならそれなりの数がいるだろう。

キリスト教的神に固執する傲慢な彼ならば、背徳者への裁きと言わんばかりに、おあつらえ向きの手法を優先的に選びそうなものである。


対マンはやや例外的だが、日曜日の休息に公開処刑という娯楽をあてがったと考えられなくもない。また、言葉遊びだが、対マン=怠慢である。


次に、本編中の事件をみてみる。墓掘り、穴空きは、事件自体の見た目(犯行の手口、被害者の死体の状態)をそのまま呼称化しているようにみえる。最初の事件からそれなりの月日が経ち、蔵が設立され、ミヅハノメを使った捜査に関与する人間も増えた。事実上の執行権は、早瀬浦から井戸端に移っている。


特に思想的なこだわりがない井戸端メンバーからすれば、3年前の事件も被害者の見た目通りだと感じるだろう。前例にならって、直近の事件についても、見た目から名前をつけようと思うのは自然である。最終的に名前を一覧で見る際、見た目をなぞるようにつけられているので、一貫性があるようにみえる。

これらのことから、犯罪者の名前は、当初はキリスト教的価値観にもとづき一定の規則性をもって名付けられていた。しかし、途中で命名規則が変わった、と考えられる。



②本堂町小春 / 聖井戸御代は、なぜフルネームなのか


イドに入ることができる者には、下の名前がない。しかし、聖井戸御代だけはフルネームである。



特に意味はないと考えれば、単に「聖乃御代」という銘柄だからだ。ほかの人物と同様、作者の言葉遊びであり、あまり深入りすべきではない。 しかし、「なんでこいつだけフルネームなのかね」とは、さすがに釣り針がでかすぎる。


4分の1歩くらい踏み込んでみる。ほかの銘柄が名前全体を上か下の名前いずれかにあてやすいのに対して、聖乃御代は、どちらかに全文字あてるのはちょっとくどい。かといって、聖、御代など一部を取り出しただけでは、ありふれた字面すぎて意味をなさなくなる。命名上の一貫性を維持するためには、4文字セットで使うしかなかったのではないか。


思い切ってあと半歩踏み込もう。酒井戸は「下の名前が思い出せない」と言っている。下の名前は、ないのではなく、思い出せないのだ。後半では「ない」とはっきり言っているが、本人がそう解釈し直しただけという可能性もある。


本堂町は、何のためらいもなく聖井戸御代と名乗ってみせた。つまり、初めから覚えているということだ。


ところで富久田は、名探偵になっている間も記憶が消えないという特殊な性質を持つ。これが穴のせいなのかははっきりしないが、もしそうだとすると、穴空き事件後の本堂町にも同じ症状が発した可能性がある。本堂町に明言された症状は、「欠けてたり抜けてたりバラバラになったものが、私にはそう見えないし、全て整って見える」だったが、いかんせん脳の損傷なので、症状は1つとは限らない。


また、穴井戸は酒井戸に「下の名前は僕にもないみたいだ」と名乗りはしたが、記憶が消えていないことが明かされるのはそのあとなので、本当にないのか怪しい。酒井戸の様子を伺って、動揺させないために、ないと嘘を言った可能性もある。

実は全員下の名前があって、穴井戸と聖井戸御代は下の名前を覚えているのではないだろうか。



③白駒二四男の死は、なぜ謎のままなのか


白駒二四男の死の真相は、作中では結局明らかにされなかった。実は生きているのでは、という線も考えたが、百貴逮捕のくだりでDNAの話も出ているため、死んでいるのは間違いないのだろう。その前提で、どのように死んだのか、を考えてみる。



何らかの事件・事故に巻き込まれて死んでいた場合、ここまで詳細不明にならないだろう。警察もそこまで無能ではない。早瀬浦の初めての殺人は、本当に自殺なので、彼が手を下したというのも考えられない。


彼の手の者という可能性もなくはないが、悪事の関係者が多いと、明るみに出るリスクが高まるだけで、いいことは何もない。誰かを使ってその者を処分し、その者を処分するにもまた、といった問題も生じる。早瀬浦はこんなに無計画な人間ではない。


やはり自殺の可能性が濃厚である。気になるのは、その目的だ。


白駒と早瀬浦が飛鳥井木記と本格的に接触するのは、対マン事件後。飛鳥井本人のデータがとれるようになり、これ以降、研究のペースが一気に上がったであろうと考えられる。ジョン・ウォーカー事件はすでに始まっていたが、この時点まではまだ不明点も多かったはずだ。


白駒は、現実的に夢を利用する方法を研究していたわけで、決してマッドサイエンティストではない。ただ、無意識の世界を明らかにするために、意識をどうにかすることは、その過程で考えるだろう。最後のデータを得るため、白駒自身がイドに入り、その観察を早瀬浦に託した。他人の手を借りずとも、薬などを使ってイドに入ってから時間差で自殺、などはできなくない。


早瀬浦は一部始終を観察し、意識と無意識のせめぎ合いからイド嵐が起きること、イド嵐の最中に意識が消滅したらその現象がおさまること(筆者の推測)、イドの世界では死なないこと、などを確認した。早瀬浦はこのデータにより、迷いなくジョン・ウォーカー計画を推進することができた。


まるで白駒が殉教者のようで、現実味がない気もする。ただ、彼の仮説が正しければ、肉体が死んでもイドのなかで生き続けることができ、夢を介在して他者の無意識に侵入するという研究目的も達成される。彼にとっては本望であろう。


以上から、白駒二四男は、現実世界では自殺しており、その真相は早瀬浦だけが知っている白駒自身は今もイドのなかに存在している、という可能性を考えている。



◆おわりに: この世界のすべてに意味がある


今回は、本作を構成する哲学、心理学、神話などの要素を取り出し、世界観の解釈から未解決ポイントへの考察を行った。ミステリというには抽象的な要素が多い作品ではあったが、ある程度納得いく説明を見つけられたと思う。このようなテーマの作品は、過度な演出で雰囲気SF化されてしまうことが多くなりがちだが、本作はアニメらしい絵柄で文字通りの視覚化が行われているのが、かえって新鮮だった。 今後、アニメ以外の媒体で徐々に答えが語られていくのだろうか。言葉遊びの好きな作者のことだから、案外ほかの著作を読めば簡単に分かるのかもしれない(ちなみに、筆者は富久田保津がいたく気に入ってしまったせいか、「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」が気になっている)。 神話・宗教的モチーフだけに注目すれば、真なる神を利用して新世界の神になろうと企んだ邪神が、己の傲慢さのために破滅し、結局世界は真なる神の手元に戻っていく、という構図が見えた。探し求めていた神は、初めからずっと自分たちの内側にいた、というのもおもしろい。このへんは、筆者の大好物バイアスが入っているため、このくらいにしておく。 最終的に得られたメッセージは、非常にシンプルかつ正統的であった。


そうして俺は理解する

この世界のすべてに意味があると

俺の生にも意味があり

彼女の死にも意味がある

そういう世界でしかできない仕事がある

それは俺しか成し遂げられないのだ


物語は、酒井戸の独白で締めくくられる。どんな人にも役割があり、今ここで、なすべきことに全力で取り組むことで、自ずと未来は開けるものだ。


「俺の名前は酒井戸。名探偵だ。」


第1話と第13話を聞き比べると、彼の変化ぶりが感慨深い。衝動で犯罪に及び、成り行きで名探偵になった彼が、これからは自らの意思で名探偵を続けていくのだろう。