2019/2/9(土)

「コードギアス 復活のルルーシュ」の上映開始。


まだ学生だった11年前。私は確かに彼の死をリアルタイムで見届けた。泣きながらバイトに行った。チャリで行った。バイトから帰って、朝まで3回くらい見た。アホみたいに泣いた。


その日の衝撃はあまりに大きくて、今でも忘れられないし、これこそが私の中で本当に「魔神 が 生まれた 日」であったと思う。なにせその勢いで一時はMAD制作までしていたのだから。


ずいぶん月日が流れたものである。私の中のルルーシュは、多少の脳内後付け設定などもされつつ、私だけの完璧なルルーシュとして進化し続けた。今までずいぶん心の支えになってくれた。たくさんの創作活動の中に、似たような姿を見つけることがなかったわけではないが、私だけのルルーシュは常に自分の中に在った。


今さら公式がどんなルルーシュを見せようというのか。


復活のルルーシュの第一報を目にした時は、とにかく恐怖であった。


TV本編の終わり方はあまりにも完璧だった。だからこそ2000年代の名作、いわゆる神アニメとして認識されるようにもなった。その美しさを公式自ら汚してほしくはなかった。


公開初日。TLに貼り付いた。コードギアスを愛する人々は、当然のごとく舞台挨拶も伴う初回から劇場へ向かっている。


完璧な作品に続編など蛇足だ。それでもコードギアスの公式がやることだ。きっと我々ファンを驚かせるようなものを見せてくれるだろう。公開前に感じ取っていた空気はこんな感じだ。コードギアスを愛する人々は、公式を信頼している。私もそうだった。賛否両論あったとしても、賛寄りだろうと思っていた。そうであってほしかった。


予想に反して、TLには怒りと悲しみがあふれていた。


R2の続きじゃなかったのか。C.C.は魔女じゃなかったのか。このルルーシュはなんだ。これが私たちがずっと愛し続けてきたコードギアスなのか。


あまりに衝撃的な反応を目にしてしまい、私はその日中ずっと「#復活のルルーシュ」から目を離すことができなかった。


私は映画が好きだが、ギアス作品を劇場で見たことはない。あまりに好きすぎて劇場に居たたまれないからだ。だから今回も行かないつもりだった。が、居ても立っても居られなかった。すぐに事実を確認しに行かなければ。私の愛し続けてきたルルーシュが、みんなに愛されなくなってしまう明日なんて、私は受け入れられない。


それから可能な限りの情報収集をし、自分の中にエンディングまでの紙芝居を作り切った。あとは劇場で絵合わせをするだけだ。これくらいしないと、とても見る覚悟ができなかった。そして初週の火曜日。



これだ。これだよ。これがコードギアスだ。



私の感じたものは、これだった。号泣するかもと用意していったタオルは、全く出番なく約2時間握りしめられてあったかくなっていた。


どうしたんだよみんな。なんでそんなに荒ぶってるんだ。素晴らしいじゃないか。ルルーシュはゼロレクイエムで間違いなく死に、だからこそこのルルーシュだ。TV版と劇場版のどっちが本当だとか、ルルーシュはあの時死んだとかやっぱり生きていたとか、そんなことどうだっていい。あれも、これも、どれもこれもがコードギアス。それでいいんだよ。


なお、1番涙が出そうになったシーンは、「君のいない世界は思ったよりずっと孤独だった」。次点で玉城とギルフォードが仲良くしてるシーンであったことを申し添える。